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似非科学は「科学」を装う限り批判されなければならない

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木村すらいむ君のブログ「文脈をつなぐ」に9月16日に書かれた記事が、わりと多くの注目を浴びているようです。有り体に言えばちょっと炎上しています。

私がこの記事を見つけてブックマークしたのが10月14日と、記事公開から随分と日が経っている。私が見つけるのがたまたま遅かったか、もしくは誰かがピックアップして俄然注目を集める用になったのか、それはわからないけれども。

ブックマークコメントも批判的なものが多いほか、批判するエントリもいくつかあったようだ。

で、それを受けてか、それの続編エントリが数日前に公開されています。

(ていうか彼のブログ、「アナタドウ?」から「文脈をつなぐ」に変えていたんですね。文脈ねぇ、文脈…)

彼、木村君はブックマークコメントもある程度目を通した上で続編エントリを書いたようですが、どうも伝わっていないというか、数多くの批判で伝えたかったことが彼に伝わっているか疑問だったので、改めて「似非科学がなぜ批判されるのか」を、私なりの言葉で書いてみたいと思います。

なぜ似非科学が叩かれるかというと、それが科学の原理に則っていると装っているから。言い方を変えれば、似非科学が批判される理由はそれそのものではなく、科学の文脈で語られていることに問題があるから、ということです。

例えば現在各所で槍玉に挙げられている水素水は、飲用することで病気が治ったり健康になる、というニュアンスで持て囃されることが多いようです。

(この「ニュアンス」というのが曲者であり、例えばメーカーはそういった効能を公式には謳っていないことがほとんどみたいです。そうした効能を高らかに叫ぶのは、それを飲用する愛好家であることが多いようで。責任がうまい具合に分散されていてムカムカする…)

水素が病気を治癒することがある、という論文は確かに存在するようですが、以下のページでも書かれているように、それは水素を肺に直接供給した場合だそうです。気体の水素を水に溶かした際に体への健康影響は、現在のところ報告されていません。なので「健康に全く影響がない」、とは言い切れない。水素は水に溶けづらく、肺に直接供給するのと同じ程度の水素を水に溶かして摂取するのは難しそうです(というかその場合の水素は胃から吸収されるのでほうか、そうすると肺からの水素供給とはまた違う身体の働きが考えら、全く別の研究観察が必要そうです)。

長々と書いたのですが、現在のところ水素水は健康に良いのか悪いのかも分からないので、「水素水で健康に!」と言いたいのであれば、それは科学の力ではなく、オカルトとか宗教とか信心とか気持ちの問題とか言葉の力とか、そういった別の理由によるべき、なのではないでしょうか。

ここで断っておきたいのは、科学を信じるからといって、科学に反する全ての事象、宗教や民間信仰や文化を否定するつもりはさらさらない、ということです。両者が対立することは無いわけではないが、きちんと使い分けることは可能のはずです。

例えばキリスト教でいうマリアの処女懐胎もそれを信仰する人には真実であるし、平将門の首塚は乱暴に扱えば必ずバチが当たるでしょう、茶柱が立つと素敵な訪問者が現れるだろうし、安部菜々さんはウサミン星から来た永遠の17歳なのです。

これらのことは科学的には誤りであるかもしれません、もしかしたら。しかしこういった話をする際は、科学の文脈に沿っていない、と話者も聴衆も判断しています。それらが話される宗教や文化の文脈では正しいことで、科学の文脈に干渉しない限り、それらは両立し得るのです。

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翻って似非科学はどうか、というと。それらの多くは「科学的に正しい」と主張してはいるものの、再現性や客観性の点から疑義が唱えられています。それらの疑義を全て解決したのであれば「科学」と言えるでしょうが、それらを無視したり、結果を捻じ曲げたり、内容を偽っている限り「似非科学」「疑似科学」とレッテル付けられ、「科学」とは認められません。科学的でないのに科学と装う、似非科学と呼ばれる所以です。

繰り返しとなりますが、似非科学と呼ばれる事柄は科学を纏わなければそれほど問題ではないのではないか、と私は思っています。砂糖玉を舐めることが「気持ちを落ち着かせる」という目的であり、科学的な治療を別途行うのであれば両立し得ます。問題は、似非科学的な行為を科学的な治療として捉え、近代的な医療行為を拒否してしまい、結果として命を危険に晒してしまうことです。実際、ホメオパシーの現場ではそういう事例が発生しているそうです。

ここまでの話をまとめると、似非科学を科学と名乗る限り、放置することで大きな悪影響が懸念されるので、その偽りは指摘し正さねばならない、と私は考えています。(私以外の科学者・技術者の全てが同じ考えかは分かりません。もしかしたら放置しても良い、と思っている人もいるかもしれません)

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…さて。私がここまで長文を書いたのは理由があります。私が理工系大学を出ていて、現在も研究者の端くれとして生活している、ということ。私が東工大(サイエンスカフェ開催)やリバネス(incu-be 記事執筆)、国立科学博物館(養成実践講座1受講)で私自身が科学技術コミュニケーターとして学んできたというのも理由の一つです。

そして何より、木村すらいむ君が、東工大サイエンスコミュニケーター養成講座の後輩であり、それが縁で直接話をしたことがあるのが最もな理由です。

学科・専攻やサークルなどは共通していないが、同じ授業を受けたということで、先輩後輩の関係にあたると思う(彼を君付けしているのもそれが理由だ)。

彼が修士を卒業した後、イケダハヤト氏の元で活動をすると聞いた時は驚いた。何かアドバイスしようと考えたこともあるが、どうやら単に書生になるわけではなく、彼なりに算段があってフリーランスとして活動を続けるらしいと知った。というか彼自身の人生、歳もあまり変わらない私がアドバイスする立場でもない。大きなお世話というやつだろう…とその時は思った。

たまにブログは読んだことがあったが、この度、冒頭で挙げた記事で多くのはてなブックマーク数を稼ぎ――言い換えれば炎上し――多くの人の話題に上っていたようです。あまり良くない方向で。

いろいろ言いたいことがあったのだけれど、まあ「そんなに目くじら立てなくても水素水美味しくね?」というのはまあ否定できないし、それはそれでアリかな、とも思ったんですよ。…

でもね。

不正を咎めるような立場でないにもかかわらず、不正を許さずに弾圧しようとする人が基本的に好きではありません。それで誰が幸せになるのでしょうか。法的な問題ならば、しかるべき権力で解決してほしいものです。

この一説が、どうにも私には看過できない。不正を咎める立場、とは何か。文句があるなら警察に言え、さもなくば弁護士を通じて話を行え、ということか。何を言っているのか私にはさっぱり分からない。

科学者が科学的にオカシイことを言ったとしよう、それを科学者でない一般の人間が指摘したことについて、「お前は専門教育を受けてないから口を挟むな」ということなのだろうか。<そういう意図ではないと思いたい。なぜなら、そのような専門性により対話を断絶することは、科学コミュニケーションにおいてあってはならないことだからだ。

科学技術の専門分野について、非専門家に伝えることの何が意義か。その専門分野の大事さ、科学技術の探求の楽しさ、有意義さを伝えることで、その専門分野だけでなく、科学技術に対する理解をもっと深めてもらい、科学技術がもっともっと社会に受けいれられるようにするためだ。巡り巡って、研究開発の更なる促進という形で、科学技術者にとっても特になることだ、と信じているからこそ、科学技術の専門家が、非専門家とのコミュニケーションの能力を付けていこう、というのが科学技術コミュニケーションの大本となる考え方だ。

科学技術コミュニケーション論を学んだ人間であり、そしてブログを含むネット媒体を生業とする人間であるならば、ブログで自ら公表した文章についての批判は、真っ当に受け止めるべきではないか。そう私は思います。

批判を受け止めて、その後にどう反応をするか、は自由です。しかし発言するのであれば、それに対し相応の責任が求められる、という心構えは、持っておいて損ではないでしょう。

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