あの時まで「科学技術を一般の人々に伝えるサイエンスコミュニケーターになって、原子力発電所の良さをもっと知ってもらおう!」ということを真剣に考えてもいた自分にとって、就活中に発生した東日本大震災、津波によって被災した福島第一原発の事故は非常にショッキングで、それまでの人生観をひっくり返すには十分であった。
学生の時も社会人になってからも、原子力関連の職業・研究に就いたことはない。唯一関連するとすれば、東京電力の企業博物館であった電力館のインタビューで、原子炉のミニチュアモデルを見学したことぐらいか(cf. B4たかし、遂にライターデビュー? – incu-beに自分の記事が載りました | b4log)。これを行ったのは2009年から2010年の時で、この時から電力・エネルギーに興味を持っていたのは確か。東京電力グループの合同就職説明会に脚を運ぶ程度には、電力業界に興味を持っていた。
ただ、所詮は興味程度である。あるのだが、自分もやはり原子力業界に加担した一人ではないのか、原発の事故について何かするべきなのではないか、という考えが頭をよぎる。私個人が何かできるなどという考えは烏滸がましいほどなのだが、しかし全くの無関係者というフリをしていられないのである。
宮城県山元町へ、東北復興支援ボランティアに行ってきたのは震災の一年後のこと。
その後私は建設会社に入社。別に震災復興の仕事をしているわけではないけれど。会社の業績として、間接的に自分にも関係するのは確か。そして否応なく震災復興の話題は流れてくる。
海岸には10m以上もの防波堤を築き、海から遠く離れたお日に移住する。果たしてこれが最良の街の姿なのか――などといった議論の場に、自分は身を置いていない。しかし「どうすればよかったのか」という考えが頭の中に生まれ、そして消えてくれない。
東日本大震災から5年。私は帰宅難民になった以外に大した被害は被っていないし、震災復興・原発対策に直接関わるようなことは行っていない。
私に何か出来ることはなかったか?おそらくなかっただろう。そう答えはでているはずなのだけれど、なぜだか自分の心の中のモヤモヤは消え去らない。そんな5年目。