井上道義氏が3/13に芸劇ウインドを振った演奏会については当ブログでも感想を述べました。その公演に際し、井上さんが自身のサイトで、吹奏楽という音楽形態について思いを述べていた。
吹奏楽団の常套的な演奏のやり方にはあまりの沢山の間違いがあるようにしか思えない。なぜクラリネットばかり多く、フルートが少ない、オーボエはとても少なく、イングリッシュホルンもほとんど見かけない、何故かコントラバスが1~2本意味なく違和感をもって弾いているし、譜面台も一人ずつ置かれていて邪魔くさい、移調楽器ばかりでわけのわからないスコアで指揮しなくてはならないし、何故かみんなお客さんの方を向かず円陣を組んで誰に向かって演奏しているかわからない等々・・・・の疑問すべてを改革するには莫大なエネルギーが必要に思えるがそこまでの愛情を持てないのは、やはり!プログラムを作るのが難しすぎるからだ。感動に向かう作品があまりに少ないのだ。近代の作曲家も自国の伝統楽器を入れた作品など皆無だし(オーケストラには多々ある…誤解を恐れずに書けば北朝鮮の楽団はほとんどそれが主流だ)
どうもこの記事の内容についていろいろ思う所ある人も少なくなく、反論を述べている人が私のTwitterフォロワーの中にも何人かいました。例として、ユーフォニアム奏者で小説家の遊歩新夢氏のツイートを挙げます。
さっきも少し触れたけど、突っ込みどころが満載なのですが。
日本のオケの第一線の人が見た吹奏楽がこの程度、というのが、なんだか日本のオケ至上主義の一因に思えてならないのですが。
吹奏楽にだって感動に向かっていく名曲は沢山あるけど?
http://t.co/ECx9JgBAvM
— 遊歩新夢 響け見たらきんカルも読んでね! (@Sir_Euphonium_Z) 2015, 3月 18
近年吹奏楽の交響曲は沢山あるし、吹奏楽と管楽器のためのコンチェルトもあるし、吹奏楽の中での名作曲家のオリジナルなんか山ほどあるし、アッペルモントが全編吹奏楽のミュージカルとか書いてるから、生でやるならピットも使うだろうし。
— 遊歩新夢 響け見たらきんカルも読んでね! (@Sir_Euphonium_Z) 2015, 3月 18
「吹奏楽のための協奏曲や交響曲がないのは嘘」というのはその通りで、例えば自分が出演した中では、リード作曲「ラフーン クラリネットと吹奏楽のための狂詩曲」(2009年6月14日、船橋市響吹にて)、ヒンデミット作曲「吹奏楽のための交響曲」(2014年4月6日、ヒネモスにて)などの曲がある。
遊歩新夢氏の意見は確かにそうだとは思うけれど、井上氏に言わせれば「そんなのオーケストラのレパートリーから比べてしまえば微々たるものじゃないか」ということなのかもしれない。
いや、曲が多いとか少ないとか、そういう次元でもないのでは。そういう、吹奏楽曲の持つ芸術性を、吹奏楽という編成が持ちうる芸術的ポテンシャルを、真剣に取り組もうという団体が、はたしてどれだけの団体あるだろうか。
3月から4月にかけて多くの中学・高校の吹奏楽部で行われる演奏会について、作曲家の櫛田胅之扶氏は次のように憂いている。
演奏会の構成は、オリジナル・ステージとかクラシック・ステージと呼んでいる、吹奏楽を演奏するステージ、そしてステージ・ショウ ( マーチング・ステージと呼んでいる )
ポップス・ステージの3コース仕立てで、お決まりのものになっています。その学校やパンドの独自性は、全く見られません。(中略)
さて問題は、ポップス・ステージです。この音楽性の低俗さは、何なのでしょう。ポピュラー音楽を、娯楽の範疇に置くのは良いとしても、演奏までも娯楽にしても良い、と云うことではありません。完全に誤解しているとしか、とれません。ポップスの奏法はもとより、フレーズ感・リズム感・コード進行の把握、全ていい加減なバンドが多いのが現状です。ポピュラー音楽を音楽として、きちんと演奏するトレーニングをして下さい。ポピュラー音楽が、聴衆の方々には、より近い音楽でありますから、ここでより高い音楽性を示したいものです。吹奏楽のよりシンフォニックな姿を、聴いて頂く絶好のチャンスなのです。流行の曲ばかり追いかけないで、スタンダードになっている名曲を中心にすえた、プログラミングをして下さい。
ウケを狙っただけの選曲で、いい加減な演奏で終わってしまうと、やはりブラバン的評価が下されてしまうのです。売り上げ一番の CD が、「甲子園」であるのが現状です。
カラオケまがいの歌もやめて下さい。歌を加えたいなら、美しいコーラスにしましょう。
無理やり一言でいうなら、「ポップスだからといて力を抜くな」といことでしょうか。第1部のクラシック・ステージは正確に、響きを大切にして演奏していたのに、第2部のポップス・ステージはテキトーに演奏者が楽しければいいや的な出来にしてしまう、というのはありそうな話ではあります。
ドラマの主題歌にしろアイドルの売れ筋曲にしろ、吹奏楽で演奏するということは、歌手の歌という魅力が無くなってしまうということ。吹奏楽という多様な楽器、奥行きのある響きで、その魅力を補う必要があるはずなのですが、そういう演奏まで仕上がることは少ないのでしょう。「歌が無くなって魅力が少なくなっただけだったら、原曲の歌を聴いた方がマシ」となりかねません。
「所詮はアマチュアなんだし、演奏している側が楽しければ良いじゃん」という意見の方もいるかもしれません。しかし、だったら演奏会を通してそのテンションを続ければいいのではないでしょうか。お客からしてみれば「第1部:上手いね→第2部:あー演奏してるのは楽しそうだね」と、演奏会後半のほうが下手になるような演奏は、ガッカリではないか、と。
演奏の技量を上げるのがムズカシイのなら、せめてその他の演出で――寸劇や振り付けを織り交ぜたり、演奏会全体をプロデュースする方法はいくらでもあるはず。しかし実際には、やってみたいだけの曲を、ただただその場しのぎの司会で繋いで演奏する、というのが多いのではないでしょうか。
吹奏楽について、もう一人。東京佼成ウインドオーケストラ正指揮者である、大井剛史氏のツイートを引用します。
ここ数年間、日本の吹奏楽の世界を見てきて思うのは、アマチュアがやるものとしてはもういいですよこれで。でも売れ線狙いのオリジナル曲やって、演出付きでポップスやってっていう世界は、どう考えてもクラシックでもアートでもありません。そこを勘違いせず、我が道を行くのが一番健康的です。
— Takeshi Ooi (@TakeshiOoi) 2015, 3月 18
アートとしての吹奏楽が発展する道は、私が思うに、アマチュアとの決別、と書くと大げさだけれど、アマチュアと全く関係性のないところでプロの作品や演奏、プログラムが育っていく、これしかありません。今はまだその段階にありません。だから色々あります、やります。あと200年はかかる道程かと。
— Takeshi Ooi (@TakeshiOoi) 2015, 3月 18
…こう書くと、「アートと高尚ぶって楽しくないことを押し付けるな」だの「オーケストラ至上主義なんだろ」とか、言われそうだけれど。
そうじゃない、そうじゃないんだ。
吹奏楽と管弦楽は、編成が違うだけの同等の音楽団のはずだ。しかし実際には、「吹奏楽=ブラバン=中高生がやるもの」、「管弦楽=オーケストラ=高尚な世界に通用する文化」というイメージがある。
いや、そうじゃなくて。自分が言いたいのはそうでなくて。
吹奏楽だろうが管弦楽だろうが、最初は芸術性を高めるよう訓練を積んで、それからポップスなりクラシックなり、自分のやりたい音楽をみつけて、やりたいようにやるべきなのではないか。
…と、ここまで書いておいてなんですが、この記事をどうやって結論付けるか、見通しが立たなくなりました。「芸術性、ないよりはあったほうがいいよね!」くらいのテンションでまとめたかったのですが、ちょっと締まらなくなりました…
本当は明後日(日付の上では明日)4月19日の(一応、芸術としての吹奏楽を追求している、という繋がりで)ヒネモス・ウインド・オーケストラの第7回定期演奏会の宣伝をしたかったのですが、なんかもう無理矢理すぎるのでリンクを貼るだけにしておきます。
吹奏楽繋がりで、今期注目の吹奏楽アニメ「TVアニメ『響け!ユーフォニアム』公式サイト」にも言及したかったのですが、こちらについてはもうコジツケもいいとこですね。取り敢えず第2話まで見た感想は面白いので、気になる人はチェックしてみては如何でしょうか。