「この世界の片隅に」を観て涙を流す理由が分からない

最初に断っておきますが、「涙を流」したのは自分自身であって、自分が泣いているその理由が、自分自身でもよく分からない、という自問自答から始まっているのがこの記事です。他者の感動を批判するエントリーではありません。

さて、件の「この世界の片隅に」、こうの史代原作の漫画を、片渕須直が脚本・監督、のん(本名:能年玲奈)が主演したアニメ映画が今年の11月12日に公開された。その内容は――と私が解説するよりも、NHKで特集されたダイジェストを見ていただくのが早いかもしれない。

1940年代、広島から呉に嫁いだ北條(旧姓 浦野)すずが主人公。戦時下では自由にモノも買えず、配給の食料もどんどん少なくなっていく。現代ニッポンから見れば悲惨な暮らしにも思えるけれども、すずはそんな暮らしを逞しく楽しみながら過ごしていく。

この映画のどこが良いか、という紹介は、ぬまがさ(@numagasa)さんがTwitterに挙げたこのマンガがよく纏まっている。

ちなみにこのマンガが公開された初週では63館でしか上映されていなかったのですが、評判が評判を呼び、192館での上映が決定しています。

さて、人の言葉を借りず、自分の言葉でこの映画の良さを語ろうと思うと…困ってしまう。この映画の良さを一言で表現できない…ということを、ロースおじさんがすでに言っていた。

いい映画には大体、ワクワクさせるとか、泣かせるとか、笑わせるとか、観客を導く感情の指針が用意してあるよね。その流れに乗れれば「V8!」とか「ガルパンはいいぞ!」とか、感動のうねりを共有できるわけや。でも『この世界の片隅に』が導く先の感情には名前がついてないんよ。だからか、観たあと胸に残った「感じ」を持てあましてみんな途方に暮れてる気がするわ。あ、「だから他の映画より優れてる」とか言いたいわけやないで。良さがわかりやすい映画にも名作はぎょうさんあるし、ただこの映画の場合はそうだったってだけや。結局は自分で観て判断してほしいね。

まあ、そうは言いつつも、私なりの言葉でこの映画の良さを語ってみよう。

片渕監督が何度も広島に足を運び取材をしただけあって、戦中の広島・呉の様子が丹念に描かれている。繁華街の賑わいや色街の他と異なる空気、結婚の作法(お経を読んでいるから仏式?)や衣服のしつらえや食事の作り方など。砲撃の爆炎が赤青黄の様々な色に彩られるシーンはアニメ作画上の演出だと思っていたが、高角砲着色弾という実際にあったものだった、というのを後から気付いたときは驚いた。兵器においても抜かりなく取材、反映されていたのだ。

ではこの作品はリアルなのか、というと、そう断言もしづらい。先の高角砲着色弾のシーンも、色とりどりの爆炎と、筆で絵の具をキャンバスに描く様子がシンクロして描かれる。登場人物がふとした瞬間に絵画の中の世界に飛び込んだり、暗転した次のシーンはたどたどしい絵から始まったり。実写ドラマでは上手く表現することのできない、アニメだからこそ可能となる表現を、絶妙なバランスでスクリーンに映し出しているのである。

主題歌を歌うコトリンゴさんの曲もこの映画の雰囲気にマッチしている。というか映画冒頭に「悲しくてやりきれない」が流れてきて早々に自分は涙が止まらなくなってしまった。この主題歌の雰囲気が、この後描写される主人公の「やりきれなさ」を見事に表現しているから、だとは思うのだけれど。その他劇伴の音楽も、画面を邪魔すること無く、雰囲気を保ったまま観客に届けてくれている。

この他、いろいろ良いところを見つけようとすればキリがないのだけれども、その言葉の全てが蛇足となってしまう気がする。それに、この映画はこのような前評判を抜きにして、先入観抜きにして見てもらったほうが感動も一入だと思う。今年の邦画の珠玉の名作と言っても過言ではない「この世界の片隅に」、ぜひ皆さんも、見たってください。


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