そんな頻繁に政党を作り直さなくていいんじゃないですか

小沢一郎さんが、またまたまた政界再編みたいなことを考えているらしいです。

リベラル系結集を模索 生活・社民統一会派の動き 小沢氏「このままじゃ死にきれない」

野党内で憲法改正や原発再稼働などに批判的な民主党の一部や生活の党、社民党などリベラル勢力が結集を模索している。民主党、日本維新の会、みんなの党による野党再編構想を「保守二大政党化」の動きと警戒。生活、社民両党による参院での統一会派構想などが浮上している。

そもそも小沢さんってリベラルだっけ?自民党出身だけど…ああ、自由民主党= Liberal Democratic Party of Japan だから、やっぱりリベラルでいいのか。・・・本当か?

この話にかぎらず、日本の政党はひっきりなしに結成だの合併だの分裂だのしている気がします。2012年11月27日に「国民の生活が第一」が「日本未来の党」に吸収、されたかと思ったら12月27日に「日本未来の党」と「生活の党」に分裂、総選挙を挟んで1ヶ月しか一緒だった期間はありませんでした。また「たちあがれ日本」が2012年11月13日に衣替えして成立した「太陽の党」は同月17日に「日本維新の会」に合流するために解党、わずか4日間しか存在していませんでした。4日間しかなかった政党なのに、未だに「旧太陽系議員、異論続々…維新政策で目立つ対立(読売新聞)」などと党派の呼称として使われているのは面白いですが。

いくら政治家のセンセが理念や戦略を持って政党を構成しているとしても、なんかもうこんなにひっきりなしにされては、国民としてはもうついて行けません。合併するにしても移行期間とか設けてはどうでしょうかねえ、会社の合併とかだとそうしてるじゃないっすか。

ふと海外の政党についてちょっと調べたところ、ドイツの左翼・社会主義政党である左翼党Die Linke)は、WASG(労働と社会的公正のための選挙オルタナティブ)と民主社会党(PDS)が合併して成立した。しかし正式に合併するまでに、なんと2年間も費やしていることを知りました。

WASGと左翼党-民主社会党の政党連合「左翼党」は2005年9月18日に行われた連邦議会選挙では、約8%(前回のPDSは4%)の得票を得て議席獲得に必要な5%[1]の枠を突破。54議席を獲得し(うちWASG12、左翼党-民主社会党42[2])、事実上、議会第四党相当の獲得議席規模に躍り出ることに成功した。

政党連合「左翼党」に参加する両政党の組織完全統合・単一政党化準備に向けて民主社会党は2005年7月に左翼党-民主社会党と改称していたが、その後、WASGのオスカー・ラフォンテーヌが左翼党-民主社会党に入党、逆に左翼党-民主社会党のグレゴール・ギジがWASGに入党し、お互いに二重党籍になるなど両党の融合を進めていった。こうして両党は統合のプロセスに約2年間をかけたが、そのなかで2006年9月のベルリン市(州と同格)議会選挙においてドイツ社会民主党のクラウス・ヴォーヴェライト市長政権への左翼党-民主社会党の連立与党入りに反対するWASGのベルリン組織(トロツキストの「社会主義オルタナティブ」の影響が強かった)が独自に出馬し、分裂選挙となる一幕もあった(この選挙でWASGは議席を獲得できず、左翼党-民主社会党も大幅に得票を減らした)。

こうした紆余曲折を経たものの2007年6月17日に正式に両党は合併し、単一政党としての「左翼党」が発足した。そのなかで両党出身者のほか新左翼からも参加者があり、幅広い左翼の統一戦線政党としての性格が強まった。いっぽう両党の合併を最終的に決める党員投票においては、左翼党-民主社会党の側はほとんどの党員が賛成したのに対し、WASGからは辛うじて過半数を上回るにとどまるなど、両党のあいだには最後まで温度差もあった。

合併にこれだけの時間をかけたのは、それぞれの政党の出自も関係しているのかもしれません。WASGはドイツ社会民主党(SPD)の左寄りの派閥が独立して成立した政党。ドイツ社会民主党は西ドイツで自由民主党や同盟90/緑の党も担ったことが有ります。一方の民主社会党は東ドイツの独裁政党であるドイツ社会主義統一党を衣替えした政党です。

どちらも政権与党としての経験を受け継いではいますが、東西ドイツの風土とか文化とかの違いがあったのかもしれません。それゆえ、早急な合併を避けたのかもしれません。

そもそも日本とドイツでは政治制度も違うので単純な比較はできません。が、理念を二の次にして流行だけ追い求めて政党を作るような日本の政治のやり方は、今一度見なおしてみてもいいのではないでしょうか。少なくとも「流行と人気だけで政党を作った」と呆れられることは少ないと思います。

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