若き研究者たちとペンギンとおっぱい――映画『ペンギン・ハイウェイ』

「おねショタ」だの「ジュブナイル」だの呼ばれているアニメ映画「ペンギン・ハイウェイ」を観てきました。

小学四年生のアオヤマ君は、一日一日、世界について学び、学んだことをノートに記録している男の子。利口な上、毎日努力を怠らず勉強するので、「きっと将来は偉い人間になるだろう」と自分でも思っている。そんなアオヤマ君にとって、何より興味深いのは、通っている歯科医院の“お姉さん”。気さくで胸が大きくて、自由奔放でどこかミス テリアス。アオヤマ君は、日々、お姉さんをめぐる研究も真面目に続けていた。

夏休みを翌月に控えたある日、アオヤマ君の住む郊外の街にペンギンが出現する。街の人たちが騒然とする中、海のない住宅 地に突如現れ、そして消えたペンギンたちは、いったいどこから来てどこへ行ったのか……。ペンギンヘの謎を解くべく【ペンギン・ハイウェイ】の研究をはじめたアオヤマ君は、お姉さんがふいに投げたコーラの缶がペンギンに変身するのを目撃する。ポカンとするアオヤマ君に、笑顔のお姉さんが言った。

「この謎を解いてごらん。どうだ、君にはできるか?」

(この記事には映画終盤のネタバレが含まれています、ご注意ください)

主人公・アオヤマ君と、研究仲間のウチダ君は、『プロジェクト・アマゾン』と命名した、付近の探検活動を行っている。

似たようなことを大人がやろうとしたらどうするだろう。まずはスマホ片手にGoogle マップを――ダメだ。詳細な地図は正確無比であり、そこに想像の余地はなくなる。「地図に書かれていないこの道の先を行くとどうなるのだろう?」といったワクワク感は消失してしまう。

成長してこの社会のことがなんとなく分かるようになってきて、でもまだわからない余地が沢山ある。夏休みの自由研究の題材には事欠かない、小学4年生だから成り立つお話なのだ。この年齢設定が絶妙な設定だと感じた。…いわゆる「ジュブナイル」とか「ヤングアダルト」といった、10代を対象とした作品にはよくあるのかもしれないけれど。

ウチダ君、アオヤマ君、ハマモトさん(映画『ペンギン・ハイウェイ』 予告2より)
ウチダ君、アオヤマ君、ハマモトさん(映画『ペンギン・ハイウェイ』 予告2より)

そして主人公のアオヤマ君、研究者肌のお父さんに感化されたのか(お父さんが研究者なのかどうかは作中で言及されていない)、行動の一つ一つが理論立てられている。作中で何度も「子供らしくない」と言われるように可愛げがない子供なのだが、その大人びた性格がこの作品を大人も楽しめる作品にしているのではないだろうか。子供らしい馬鹿げた振る舞いや感情的な行動は、大人からすると感情移入の妨げになってしまうのではないか。大人びた子供の気持ちは、子供の心を忘れない大人にドンピシャだ。

アオヤマ君(映画『ペンギン・ハイウェイ』公式サイト ギャラリーより)
アオヤマ君(映画『ペンギン・ハイウェイ』公式サイト ギャラリーより)

この映画は少年少女作品であり、そして同時に科学研究者作品でもある。アオヤマ君と共に、クラスメイトであるハマモトさんも若き研究者である。10歳という幼さ故に研究手段は大人向けとはいえないけれども、その理念は大人の科学者に引けを取らない。特に中盤で研究対象が大人に見つかってしまうシーンは見ものだ。大人の視点からすれば「危険かもしれない未知の物体を子供に触れさせる訳にはいかない」という親切心であるが、若き研究者にしてみれば「自分が丁寧に観察していた研究対象をいきなり奪われる」のである。それはもう烈火のごとく怒る。その大人たちの中に、研究者として尊敬している自分の父親がいても、である。このシーンは大人達にも、そしてハマモトさんにも、どちらにも感情移入してしまって心が落ち着かなくなった。

ハマモトさん(映画『ペンギン・ハイウェイ』 予告2より)
ハマモトさん(映画『ペンギン・ハイウェイ』 予告2より)
ハマモトさんのお父さん(左)と研究所の人(映画『ペンギン・ハイウェイ』公式サイト ギャラリーより)
ハマモトさんのお父さん(左)と研究所の人(映画『ペンギン・ハイウェイ』公式サイト ギャラリーより)

ところで、アオヤマ君は女性の胸への興味が尋常ではない。子供だからなのか、大人びた子供だからなのか…彼の研究ノートには『なぜ、おっぱいに惹きつけられるのか?』『おっぱいの形状について』『お姉さんのおっぱいは何でできているのか?』『お姉さんとお母さんのおっぱいの違いは?』というタイトルが並んでいるし、「怒りそうになったらおっぱいのことを考えると落ち着く」というセリフもある(ちょっと違うかもしれないがこんなニュアンス)。お前おっぱい好きすぎだろ。分かるけど。

しかし映画を観終えて一晩経ってからふと気付いた。乳房とは「性」のメタファーであるが、同時に「生」のメタファーでもある。ベートーヴェン交響曲第9番第4楽章の歌詞にも(もとを正せばシラーの詩作品「自由賛歌」)に「すべての被造物は 創造主の乳房から歓喜を飲み」(Freude trinken alle Wesen / An den Brüsten der Natur)とあるように、乳幼児が栄養を求める最初の場所である乳房は、生き物が生きるために欠かせない与えられるものである。

映画の最後で告げられる事実、お姉さんがこの世の人間ではなく、この世に未練があって出てきたということから類推するに、この世への生への執着が、豊かな胸となって出てきたのではないか――そう思えてならないのだ。

お姉さんとアオヤマ君(映画『ペンギン・ハイウェイ』 予告2より)
お姉さんとアオヤマ君(映画『ペンギン・ハイウェイ』 予告2より)

まあ単におっぱい好きな人が集まって作っただけかもしれませんけど。

この映画を観終えて、すべての謎が明らかになった訳ではありません。しかし、いやだからこそ、心に残る淡い思いが心地よいのです。ペンギンが好きな人も、おっぱいが好きな人も、どちらもそんなでもない人も、ひと夏の青春を味わいたいすべての人におすすめの映画です。