解体されると噂の高幡台団地73号棟を撮ってきた

高幡台団地 73号棟去年の3月に、団地内で最も高い11階建て、そして商店も並ぶまさに高幡台団地のランドマーク的存在だった73号棟が解体される、という報道がされました。

先日ちょうど隣りの百草団地に用事があったので、帰り道のついでに高幡台団地に寄って、取り壊されるという噂の73号棟を撮影してきました。

ここで高幡台団地についてのおさらい(どこかの説明文を引用したかったけど、そんな文章がネットに無かったorz)。

高幡台団地は日野市の三沢850・程久保650に跨がる、1968(昭和43)年頃に隣接した百草団地と共に建設が始まった、日本住宅公団の団地です。京王電鉄・多摩モノレールの高幡不動駅から徒歩20分、もしくは高幡不動駅から5分おきに運行されているバスで4分という立地にあります。多摩モノレールの程久保駅も地図的には近いですが、駅を降りてから台地をひたすら上っていかねばならないのでこちらはあまり便利ではありません。

1号棟から26号棟が分譲、28号棟から73号棟が賃貸です(27号棟は欠番?)。団地の周りのほとんどを山地が囲んでおり、バスが通る道路以外は幹線道路が通っていないので、子供が遊ぶのには安全な場所と言えます。

なお団地の小学校として、日野市立高幡台小学校がありましたが、実は道路を挟んで向かい側にもう一つ別の小学校、程久保小学校がありました。何故こんな超至近距離に別の小学校が建てられたかというと、「高幡台団地の住人が通う高幡台小学校に通わせたくない」という程久保住民の要請があったからだとか。まあこんな至近距離に小学校があったら、少子化の如何に関わらず合併するのは時間の問題だったわけで、1971年開校した高小も2002年3月で程小と合併、新たに夢が丘小学校としてスタートしました。ちなみに旧高小の校舎は、旧程小の校舎を改修するため夢小の仮校舎として使用された後は、日野市の中央公民館高幡台分室や教育センター、郷土資料館として使用されています。

ちなみに高幡台小学校には団地の住民以外に、多摩療護園に務めている人の子供も通っていました。

で、件の73号棟は11階建てで団地内のほぼ真ん中に位置する棟で、1階にはスーパーや商店、寿司屋なども入っている商店街があり、非常に賑わっていました。「ました」と過去形なのは、以前軒を連ねていた寿司屋・定食屋・八百屋・魚屋・肉屋・酒屋・パン屋・薬屋・文具屋といった商店はここ10年の間に相次いで閉店してしまったため。ダイエーのスーパー「グルメシティ」(従来はセイフーと呼ばれていた)が残っているから住民の生活がギリギリ保てているようなものです。高幡台郵便局が閉じていないのが奇跡に思えます。隣りの百草団地と比べても、衰退っぷりが激しいです。平日の午後なのに人影はまばら、というか商店街の真ん中から見える人を数えたら本当に両手で数えられる程度でした。夏祭りとか現在でも行われているのかなあ。

10 年前といえば、自分が高幡台団地から平地のマンションに引っ越した頃ですね。それに前後して、百草団地に隣接して立てられた「マイキャッスル高幡不動」や高幡不動駅近くにマンションがポンポン建てられ、団地の住民(特に賃貸に済んでいた人々)が他所に移り住んだ頃ですね。公団の団地は、一戸建てやマンションをまだ購入出来ない若い世代に住居を与える目的で造成された(らしい)のですが、住民が退去した後の新たな住人がなかなか出てこなかった、というのが団地衰退の要因でしょうか。毎日山登りをしなけりゃ家に着けないし、73号棟以外の棟にはエレベータがなくて不便だし、各住居も狭いし、わざわざここに住もうという若者はいないのかな。

73号棟を解体した跡地には、民間の業者に売却して新たな商業施設を立てる計画もあるようです。ただ、「今さら引っ越せない」「他のエレベータの無い棟には住めない」などの意見から解体に反対の声もあるようです。

確かにエレベータがある棟がここだけだし、解体せずに補強や減築で済むならそうやったほうがいいかもしれない。でも住居部分の設備の古さはどうにもならないし、スーパーが今後もずっと店舗を構えている保証も無い。73号棟は高幡台団地のランドマークだったけれど、今後残しておいたとしても、バベルの塔のように、団地の住民が四散してしまう結果にしかならないのじゃないかな(ってバベルの塔の話はかじった程度しか知らないけど)。

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