文明科目「東京研究」の授業の一環で、今回は「幻の新橋駅」と言われる東京メトロ銀座線の留置線・旧プラットホームを見学してきました。
このホームは、渋谷側から新橋まで開通させた東京高速鉄道のもので、虎ノ門から新橋まで開業した1939年1月15日から、反対側の浅草から新橋に伸ばしていた東京地下鉄道との直通運転が開始される同年9月16日の前日15日まで、およそ8ヶ月しか使われませんでした。
早川徳次が創業した東京地下鉄道は、1927年12月30日に開業した上野-浅草間の路線を皮切りに順次延伸し、1934年6月21日に新橋まで開通させています。
一方、五島慶太が創業した東京高速鉄道は、1938年11月18日に青山六丁目(現・表参道)-虎ノ門間を開業、翌年1月15日までに渋谷-新橋間まで路線を伸ばします。
ところが、東京地下鉄道は「準備不足」を理由に直通運転を断り、やむを得ず東京高速鉄道は少し離れた場所に駅を設置します。それが今回見学した「幻のプラットホーム」というわけ。結局8ヶ月後には使われなくなってしまうのですが。
直通運転を断った理由は、両社の経営方針の違いとか(最初から6両編成の高規格で駅を整備した東京地下鉄道に対し、建設コスト削減のため3両分しか整備しなかった東京高速鉄道)、「強盗慶太」と言われるほど強引な手口で競合企業を乗っ取った五島慶太に対する感情があったそうな。
また、本日の見学の担当をしてくれた職員の説では、赤坂見附から新宿まで至る計画路線(現在の丸ノ内線のルート)を新橋まで乗り入れさせることを考慮し、(それ以西は供給過多なので)新橋で折り返す際に必要な設備として駅を設置したのではないか、という話がありました。確かに将来的に直通する話があるのに、随分立派な「仮ホーム」ではあるので、東京高速鉄道が乗り入れを考えてそこまで設備を作ったのかもしれませんね。
この幻のホーム、銀座線開通80周年などの特別なイベントでない限り見学などは出来ないのですが、今回は東京都副知事である猪瀬直樹氏の頼みで見学が実現したそうです。普段の授業とは違う時間だったため参加者は10名程度でしたが、貴重な体験が出来ました。
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