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楽しめなくても、味わえばいいじゃない

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先週号(2008.4.10 No.187)のR25で、高橋秀実さんの隔週エッセイ「結論はまた来週」、最近自分が持っていた疑問というか違和感に答えてくれるような内容でした。

第一〇六回
人生は楽しむためにあるのだろうか?

そろそろ寝ようかと思いつつテレビを眺めていたら、あるタレントがこんなことを言っていた。

「人生は楽しむためにあるんです」

私は目が覚めた。そういう言い方が人心を惑わすのだと憤り、思わず起き上がってしまったのである。

近頃、誰も彼も「楽しむ」と言いすぎではないだろうか。勝負に生きるスポーツ選手たちも試合前に「楽しみたい」と口にする。俳優にしても番宣で「スタッフとも和気あいあいで、楽しい現場でした」と語ることがお約束かのようである。しかし人を楽しませる前に自分が楽しんでどうするのだ

楽しい利己主義というべきか。ビジネス書の類も「仕事で自己実現」などと実に楽しそうなノリだが、そのノリで他人様から金銭を頂戴できるのだろうか。そんな心構えで事に臨んでは、「あっ楽しくない」と思った瞬間に落胆し、「私に向いてない」と早々にやめてしまうのがオチだろう。

以前、「Q. 何のために音楽をしているのですか」という記事を書きました。その時の自分は取りあえず『A. 「何のために音楽をしているのか」を発見するために、音楽をしている。 』と矛盾したようなことを書いてごまかしたけど。

その時考えていたもう1つの答えは、『A. 楽しむために、音楽をしている。』というもの。実際、音楽をやっている人に同じ質問をしたら、大抵の人がこう答えると思う。

でも、この回答では満足できない。だってその意見を突き詰めれば、「自分が楽しけりゃお客が不満でもOK」なんてことになる。そんなことは、取りあえず自分は望んでいない。でもお客を満足させるためには、自分が楽しむ余裕はなさそうだ。合宿で食事と風呂の時間以外は楽器を吹いてるなんて、はっきり言って苦痛以外の何物でもない。

それに、この記事を書いた時期は、なんかオケの運営でヒステリック気味な人が多かった。実際に鬱になった人はいなかったけど、自分たちの代は何をするにも揉めたし。まあ良い音楽を作るために話し合ったから良いことなんだけど、楽しいかと訊かれたらそうでもないし。

昨年から私は「趣味」の取材をしている。「趣味」こそ楽しむものと思われるかもしれないが、それも違う。「趣味」という言葉が広まったのは明治末期で、もともと英語の「TASTE(味わい)」の翻訳だった。つまり、楽しみ(AMUSEMENT)ではなく、味覚のようなものなのである。例えば「マラソンが趣味」の人とは、マラソンを楽しむというより、マラソンで苦しい思いをも味わいたい人のことなのだ。

よくよく考えてみれば、この世にそのこと自体が楽しい物事などはないのである。あるのはどう味わうかということを巡る関係性だけなのだ。

人生は味わうためにあるんです。

と私はPRしたい。仕事がつまらなければ、つまらなさをじっくり吟味すべし。そうして味わい深い、テイスティな男になりましょう。

なるほど、楽しくない・つまらないことでも、味わうことは出来る。単に甘いとか美味しいとかではなく、苦みや渋みを堪能するように。侘び寂びの精神のようで深い。

そんなわけで、先の質問には、今ならこんな風に答えられる:

Q. 何のために音楽をしているのですか。

A. それぞれの作品を味わうために、音楽をしています。

来年の春頃に、東工大オケの先輩たちが特別演奏会を企画しているのですが、元々ファゴットがそんなに目立たない曲だし、アシだから全く目立つことはない。だから「楽しくない」んだろうけど、「味わう」ことは十分に可能。むしろそっちに専念するべき曲なのかも。というわけで、どうやらやる気が落ちないまま特別演奏会にむけて頑張れそうです。

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