タイトルが刺々しいですけど、こう思っちゃったから仕方がない。
民主主義の大原則は多数決、つまり多くの人の意見に基づくってこと、だと思うんです。で、その原則に毎日と朝日が反抗しているようです。
記者の目:東京都知事選「無党派層」に問う◇政治家にオーラ求めるな??強者に迎合してないか
問題は有権者の側にあるのではないか。石原慎太郎知事が圧勝した東京都知事選の取材を通じて、私はそんな思いを強くしている。
「浅野さんにもオーラが出てまいりました」。選挙戦中盤の3月30日、民主党の応援弁士が浅野史郎・前宮城県知事を持ち上げた。だがそれは石原氏に比べ、浅野氏に「オーラ」が欠けていたことの裏返しでもあった。事実、石原氏の「集客力」は他候補とはケタ違いだった。
今回の都知事選では、石原氏にこうした支持が根強い一方で、「任せられる人がいない」「(候補者は)みんなダメ」という、あきらめや冷笑も目立った。全く正反対の態度のように見えるが、政治家に普通の人間と違う何かを求める点で、根は同じだろう。
このままでは、この国の選挙は際限なく強い刺激を求める「オーラ競争」になってしまう。そうした危惧(きぐ)の中で、政治学の巨人、故丸山真男氏の言葉に出合い、深く共感した。丸山氏はかつて講演で「頭に水をぶっかけるようないい方ですけれども」と断って、こう言った。「(政治的選択とは)福沢諭吉の言葉ですが、『悪さ加減の選択』なのです。(中略)悪さの程度がすこしでも少ないものを選択するということです」
私は3年前に「サンデー毎日」誌上で、石原知事の「豪華海外出張」などの公私混同問題を最初に報じた。それが今知事選で争点になったことを正直うれしく思う。しかし多くの有権者はそれに許しを与えた。当の石原知事は「陰湿に根拠のないバッシングをされた」と早くも報道に責任転嫁するかのような発言を始めている。石原知事に「公僕」としての意識はあるのか、強く疑問に思う。
では、浅野氏らが集めた知事批判票は無駄だったのか。そうではないと思う。
今知事選を機に、都議会民主党が石原知事への対決姿勢を鮮明にしたことは率直に評価したい。同党は05年都議選以降35人に躍進した。知事批判票を背景に今後も対立軸を示し続けることができれば、自民党に次ぐ都議会第2党としての存在感は増すだろう。日々の生活に忙しい有権者に代わり、首長や役所の仕事ぶりを監視するのが議員本来の仕事である。
おそらく、地道な選択の積み重ねでしか、政治は良くならない。期待し過ぎず、あきらめない??有権者には、そうした態度が求められていると思う。
一応最初に言っておくと、自分も石原都知事はやっぱり一部公私を混同してるとは思います。そんな疑問をもたれるような事はやるべきじゃないだろうし、説明も十分とは言えないし。
でもこの「記者の目」はちょっとどうかと思う。要約すると、「石原氏は不祥事が多いのに、なぜ有権者は浅野氏を選ばないんだ、まったく馬鹿共め」ってことですかね、少なくとも自分にはこう読めました。特に最後の文、明らかに読者を見下している気がしてならないのですが。
有権者は所詮は愚民かもしれませんが、悪さの程度がすこしでも少ないものを選択
した結果なんだから、毎日は現実を受け止めなきゃいけないんじゃないかな。
「むちゃくちゃ」 抗議の声相次ぐ 国民投票法案採決
施行60年。憲法記念日を前に、改憲手続きを定める国民投票法案が12日、衆院憲法調査特別委員会で可決された。傍聴席や国会周辺では、慎重審議を求める声があがった。
「こんなやり方があるか」「むちゃくちゃだ」。採決の瞬間、傍聴席から怒りの声が相次いだ。
同日夕、日比谷野外音楽堂で開かれた抗議集会では、共産党の志位委員長は「拙速を避けて徹底審議を求める国民の多数の声を与党は踏みにじった」と批判。社民党の福島党首も「民主主義を踏みにじり、憲法を変えるための国民投票法の成立を許してはいけない」と訴えた。
弁護士らでつくる「国民のための国民投票法を考える会」は同日、全国30カ所の街頭で実施した意識調査の結果を公表。約1800人の回答のうち「審議が尽くされていない」との答えは63%で、「審議が尽くされた」は4%だった。
改憲に必要な賛成数については、60%が「総有権者の過半数」とし、与党案の「有効投票総数の過半数」より厳しい成立要件を求めた。
こっちも、強行採決はまーあんまし良くないとは思うけど。
まず、憲法を改正する方法についての法律がいままでなかったのが問題であって、今回の問題はその手法についてやっと道筋がついたってだけであって、これだけで「憲法改正のための悪法だ」なんてお門違いじゃないかと思う。
次に、「多数決で決める」のは民主主義の大原則なのに、その原則を民主主義を踏みにじる
と言うのはやっぱりお門違い。
そして、改憲に必要な賛成数を「有効投票総数の過半数」ではなく「総有権者の過半数」にするべきだと言うけど、多くの選挙の投票率は50%くらい、残りの約半数は無理解・無関心・無知ってこと。「有権者の過半数で改憲」なんてことにしたら、これらの人達まで「改憲反対派」に括られてしまう。そんな制度にしたら、改憲なんて未来永劫出来なくなってしまう。
もし憲法改正についての選挙の投票率が低くても、それは国民が自分の国の憲法に無関心だということ。それはそれで問題ですが、政治家とか政府とかの国民への働きかけ不足でもあるわけで。
あ、多数決が民主主義の大原則だとは言っても、少数派の意見を汲み取るのも勿論大事ですよね。ただ、マイノリティーのために他の人々も巻き込んで負担を増やすなんてもちろんあってはいけないわけで。