温泉地に特有のあの卵の腐ったような臭いの元は、硫化水素であることが知られています。
これを「硫黄の臭い」と言ってしまうと、厳密には間違いである、ということになるのですが、わりと使われる表現です。先日も御嶽山噴火に関する報道において、メディアが使用したところ「硫黄は無臭です」と東大教授がツッコミを入れたことがちょっと話題になっています。
御嶽山リポート「硫黄のような臭いが・・・」 東大教授がツッコミ「硫黄は無臭だ」 http://t.co/JAoM1IvmNE
— J-CASTニュース (@jcast_news) 2014, 9月 30
バンキシャの冒頭、御嶽山からのアナウンサーのレポートは「硫黄のような臭い」で始まったが、硫黄は無臭だ。
— 鍵 裕之 (@hirokagi) 2014, 9月 28
科学的には確かに「硫化水素」です。それは正しい。でも、メディアが「硫黄の臭い」と使いたい気持ちも分かるのですよね。だってほら、「りゅうかすいそ」って言うより、「いおう」って短いし、「硫黄の臭い」と言えば皆さん伝わるでしょう?
「そうは言っても…」とまだまだ一言言いたい皆さん、では他の例で考えてみましょう。
まずはこちらの電車に関するニュースをご覧ください。
JR北海道、新型特急車両の開発を中止 – 当面はキハ261系気動車の製作を継続
2014/09/10
JR北海道は10日、新型特急車両の開発中止について発表した。今後は既存の最新型車両キハ261系気動車の製作を継続する。
同社は高速化による到達時分の短縮などをめざして次世代の新型特急車両の開発に取り組み、2011年4月から試作車の設計・製作に着手していた。車両形式は「285系特急気動車」で、車両製作メーカーは川崎重工業、製作両数は3両で、複合車体傾斜システムとMA(モーター・アシスト)ハイブリッド駆動システムを採用し、スピードアップと省エネルギー化を両立させるという。この試作車は今月末に落成予定という。
しかし、「現状としては、『安全対策』と『新幹線の開業準備』に限られた『人』『時間』『資金』等を優先的に投入する必要があります」と同社。新型特急車両の開発中止について、「コストとメンテナンスの両面から過大な仕様であること」「速度向上よりも安全対策を優先すること」「従来形式での車両形式の統一によって、予備車共通化による全体両数の抑制と機器共通化によるメンテナンス性の向上が図られること」を理由に挙げた。当面はキハ261系の製作を継続し、老朽化した特急気動車を更新するという。
特急に用いられる新型の気動車の開発中止を伝えるニュースです。
そう、気動車!架線などから電力供給を受けモーターの動力で走行する電車ではなく、軽油などの燃料によってエンジンを駆動させる気動車の話題です。
鉄道愛好家にとって電車と気動車は全くの別物です。が、一般利用者にとってはわりとどうでもいいことです。「函館から札幌まで電車に乗ってきた」という文章は間違いであり「気動車に乗ってきた」もしくは「列車に乗ってきた」と訂正するほうが正しいです。しかし、会話の文脈からすると大差ない話でしょうし、乗車する人間にとって列車の動力源が何であるかは重要な事柄ではありません。
次にこちらのロボットのフィギュア写真をご覧ください。
「汎用人型決戦兵器 人造人間エヴァンゲリオン 初号機」です。碇シンジ君が「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」と言いながら搭乗するやつです。
そう、エヴァンゲリオンは人造人間なんです。機械仕掛けのロボットではなく、巨大な生命体を拘束具で人型にしたものなんです。人造人間を人間が操っているのです。ガンダムみたいなロボットじゃないってことだそうです。
しかしどうでしょう、エヴァンゲリオンを「14歳の少年少女がロボットに乗って戦うストーリー」とさらっと説明した時、果たして「いやエヴァンゲリオンは人造人間で、人間と言っているがその元は生命の起源であるリリスをコピーしたものなんです」という解説が必要だろうか?物語を詳細に説明するならば必要でしょうが、エヴァを見ようかやめようか迷っている人に、いきなり「使徒とは」「セカンドインパクトが発生し」「アスカ可愛い」「俺は綾波派」ということから喋り始めては、むしろ観る気を無くすのではないでしょうか。
「エヴァンゲリオンはロボットアニメ」という情報から入ってみるのも良いと思います、最終的にはロボットでないことが判明するにしろ、それは後回しであっても作品を鑑賞するのには障碍ではありません。
さらに、こちらのブラスバンドの写真を御覧ください。
私が所属しているアマチュアの吹奏楽団、Hynemos Wind Orchestra第6回定期演奏会の演奏中の様子です。
吹奏楽団というのは木管楽器、金管楽器、打楽器、そして一部の弦楽器(コントラバス)で構成される音楽集団であり、金管楽器と打楽器で編成されるブラスバンドとは異なるものです(そもそもブラスとは真鍮のことで、つまり材質が真鍮でできている金管楽器のことを指しています)。
しかし、通常「ブラスバンド」というと吹奏楽を指します。また「○○ブラスバンド」という団体であってもその実態は吹奏楽団であったりするなど、音楽関係者であっても混同して使用していることがままあります。「ブラバンに所属してるんでしょ?」と訊ねられたところで、目くじらを立てて否定する人というのはあまり見たことがありません。
なお「管弦楽団に所属している」と言うと「へー吹奏楽かー」と返されることもあります。弦楽器で多く構成されるオーケストラ(管弦楽団、交響楽団)も、やはり吹奏楽団や金管バンド(ブラスバンド)とは異なるものです。両者の違いを訂正することは多いですが、音楽をやっていない人にはなかなか伝わらない情報です。
道路陥没 ガス濃度上昇で一時避難 東京・練馬区
1日朝、東京・練馬区で、長さ10メートルにわたって道路が陥没し、地中に埋まっていたガス管が破損してガス漏れが起きているのが見つかり、消防は一時、周辺の住民を避難させました。
1日午前8時ごろ、練馬区谷原で「ガスの臭いがする」と近所の人からガス会社に通報がありました。
ガス会社からの連絡を受けて、東京消防庁が調べたところ、道路が幅2メートル、長さ10メートルの範囲で、深さ30センチほど陥没しているのが見つかり、周辺ではガスの濃度が上がっていることが分かりました。
ガスの臭いがするので調べた所、ガス管が破損しておりそこから漏れていた、というニュースです。
東京ガスや大阪ガスなどの都市ガスで用いられている天然ガスなどは本来無臭です。ガス漏れが発生した時にすぐ分かるよう、チオールという付臭剤を混ぜているのです。
ですから「ガス臭い」という表現は、言葉通りに捉えると本来は間違っているのです。しかし「ガス臭い」という事象を人間が捉えることによってガス漏れを感知している、ということを付臭剤によって促しているわけです。口頭でいう文には何ら問題ない表現でしょう。
長々と説明しましたが、つまり「表現と中身は違うことを指していることも多い」ということを言いたかったわけです。
科学的に間違っているよりは、科学的に正しい表現の方が良い、というのは一般的にそう思います。しかし、慣習的な、しかし科学的に誤っている表現も、それで会話が成り立ち、業務に支障なく、その他の科学技術的な見地に悪影響を及ぼさないのであれば、全てを指摘して訂正する必要もないのではないか、とも思います。
重ねて言いますが、科学的なツッコミを否定しているわけではありません。でも、それが必要な時と不必要な時もあるのじゃないかな、と思ったわけです。「硫黄の匂い」というレポートを聴いて、テレビの視聴者がどんな光景かを想像できるのであれば、それが硫化水素の匂いであるのかどうかは二の次であっても良いような気もするのです。