はじめに断っておくと、私は江戸城天守を皇居周辺に再建するのには基本的に反対です。理由は複数あって記事の中でこれから述べますが、まあ兎に角、無駄遣いにしか思えないから。
「江戸城再建を目指す会」が任意団体として設立されたのは2004年、2006年にはNPO法人に移行、2010年には「江戸城寛永度天守復元図」を公開するなど、着々と活動を行ってきたらしい。
2020年に東京オリンピックが開催されることになって、「歴史的ランドマークとして、東京には江戸城が必要だ!」ということで、俄然張り切っているようです。
東京五輪のために500億円かけて「江戸城」再建? (週刊朝日記事)
ロンドンはバッキンガム宮殿、北京は紫禁城、パリは凱旋門。世界の都市には、必ずその国の歴史や文化を代表する建造物がある。しかし、東京には……。
「だからこそ、江戸城を再建したいのです!」こう力説するのは認定NPO法人江戸城天守を再建する会理事長の小竹直隆氏。
「2020年、東京五輪には内外から約1千万人が来訪するといわれています。ですが、東京には日本の歴史や文化を誇る建造物がない。今こそ、日本一壮大で美しい城だった江戸城天守を再建する好機です」
小竹氏は、JTB専務を経て、東京観光財団専務理事を務めた。東京を売り込むために世界中を飛び回ったが、そのたびに東京には歴史的ランドマークがないことを痛感したという。
「東京が世界に誇る観光都市になるためにも、江戸城再建は必要です」(小竹氏)
いろいろ言いたいことはあるが、整理しておこう。
公式サイトによれば、その国を代表する世界の大都市には、ロンドンのバッキンガム宮殿、パリの凱旋門、ベルサイユ宮殿、北京の紫禁城、ニューヨークの自由の女神などの歴史と伝統と文化の象徴というべきモニュメントがあります。
として、東京にも江戸城が必要!と主張しているらしい。
しかし、東京以外のこれらのモニュメントは、最初から都市の観光スポットとして作られたわけではない。国家の威厳を表すとか多少は内外にアピールする面もあっただろうけれど、基本的には本来の用途があって作られた、いわば実用品として作られたはずだ。
・・・そうだよね?と不安になったので、ウィキペディアで調べ直しました:
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バッキンガム宮殿 (イギリス、ロンドン)
1837年に現在の建物が完成、イギリス王室公式の宮殿として、2013年も使用されている。夏期は一般の見学も可能、衛兵交代式が有名。
- エトワール凱旋門 (フランス、パリ)
アウステルリッツの戦い(ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍が、ロシア・オーストリア連合軍を破った戦い)の勝利を記念して、ナポレオンが1806年に建設を指示、30年後の1836年に完成した。
料金を払えば、門内のらせん階段を登ることも出来る。なお単に「凱旋門」と言うとこのエトワール凱旋門のことを指すが、パリだけでもカルーゼル凱旋門やサン・ドニ門、サン・マルタン門といった凱旋門がある。ちなみに「グランダルシュ」なる門の形をした超高層ビルもあり、「新凱旋門」と呼ばれたりするが、戦勝を祝したもんではない。
- ヴェルサイユ宮殿 (フランス、イヴリーヌ)
1682年にフランス王ルイ14世がパリ郊外に建てた宮殿。素晴らしい宮殿を建設することが出来るフランス国王の偉大さを庶民に見せつけるため、建設当初から民衆が入ることを許されていた。
フランス革命の起きた1789年に宮殿としての役目を終える。その後フランスはなんやかんやあったが、1830年に「国民王」に即位したルイ=フィリップ・ドルレアンが、1833年にヴェルサイユ宮殿を歴史博物館にすることを決定、おおよそ今に至る。
- 紫禁城 (中国、北京)
明の成祖永楽帝が1406年から改築、1421年に都を南京から北京へ遷してから清朝滅亡まで宮殿として使われた。1912年に清王朝が倒れた後も、1924年までは愛新覚羅溥儀らが住んでいた。その後は1925年に博物館として組織された。
現在の建物は、1644年の李自成の乱で焼失したものを、新が再興したもの。
- 自由の女神 (アメリカ、ニューヨーク)
アメリカ合衆国の独立100周年を記念して、独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈され、1886年に完成した。その前の1878年にパリで行われた万国博覧会では完成頭部を展示して、約40万ドルの寄付金が集まったそうだ。
世界を照らす自由 (Liberty Enlightening the World)が正式名称。台座部分にエレベータが設置されていて、最上階から階段を登って王冠部分の展望台に登ることが出来る。
バッキンガム宮殿、ヴェルサイユ宮殿、そして紫禁城は、専制政治を司る宮殿として建てられている。それに対して凱旋門は戦勝を祝した記念碑、自由の女神はアメリカ独立と米仏の友情の証として建てられた像である。
こうしてみると、凱旋門と自由の女神は最初からモニュメントたるモニュメントとして建てられたと考えられそうだ。ただし、最初から観光スポットのために作ったわけではなくて、勝利の栄光、自由の象徴を内外にアピールするために作られている。
さて、話を戻して江戸城。この地に最初に城を建てたのは1457年、太田道灌である。1524年には北条氏綱の支配下となり、1590年に豊臣秀吉によって開城、徳川家康が居城とした。1603年頃より神田山を崩して日比谷入江を埋めるなどの大規模な工事を始めている。
江戸城天守は1607年、1623年、1638年と3度も築かれている。1657年の明暦の大火で天守が焼失した後も再建計画が練られたが、保科正之の経済的な判断により、築城より江戸復興を優先させるために中止された。その後は富士見櫓などで政治を行っていたようである。
その後350年以上にわたって、江戸城には天守が無かった。その間、江戸幕府は200年程度存続し、1869年以降は皇城と改称(1888年に宮城、1948年に皇居と改称)、天皇の宮殿として使用されている。
そんなわけで、江戸時代・明治時代以降と、お堀の内側には天守がなかった。というか、立派な天守があそこにあったのは、大目に見ても50年しか無かった。それは再建ではなく、もはや新設と言えるのではないだろうか。
2002年ドイツ連邦議会は、第2次大戦で破壊されたベルリン王宮を再建することを決議しました。首都の中心に歴史的建造物を記録に忠実に再現し、未来志向の文化施設とする考えにドイツ国民のコンセンサスが成立したのです。
ポーランドの首都ワルシャワの市民は、第2次大戦で徹底的に破壊された旧ワルシャワ市街の街並みを粘り強い努力で昔のままに再現し、ユネスコはそれを世界遺産と認定しました。
このように歴史的な建造物を再建し、古い文化に新しい息吹を吹き込もうとする動きは、ヨーロッパのみならず、日本でも、いや世界各国でも、澎湃として湧き起こっています。江戸城天守の再建は、このような国際的にも普遍性のあるプロジェクトとして、世界が注目することになると考えます。
なので、「江戸城再建を目指す会」がこんな主張をした所で、どうもピンと来ない。ベルリン王宮は1700年代からの建物を戻す計画のようである。ワルシャワ市街は
もともとの建物に使用された煉瓦はできるだけ再利用された。破片は再利用できる装飾的な要素に変えられ、それらはもともとあった場所に再度挿入された
といったように、第二次世界大戦後からすぐに復旧された経緯がある。3世紀半も間が空いているのだ。そこに歴史的連続性を見出すことが出来るだろうか。「外国人が東京に訪問して、日本の伝統的な建築が見当たらなかったら寂しがるだろう?」という意見も、まあ分からなくもない。それなら、銀座にある歌舞伎座に行ってみてはどうだろう。建物外観はまるで日本の伝統的建築である、まあ鉄骨コンクリート造だし、他にも日本らしくない箇所はいろいろあるのだけれど、形を変えながらも日本の伝統芸能が続いているというのは、それはそれで日本らしいとも言えるでしょう。
木造建築がいいというなら、江戸東京たてもの園や旧朝倉家住宅、目黒雅叙園、山本亭など、都内にも良い建物はある。「城じゃなかダメなんだ!」というなら、もういっそ姫路城あたりにでも行ったらよろしい。
それと、ただの観光名所としてだけ、天守を建てるというのも気に食わない。例えば、現在日本国の政治を行う場所の建て替え計画中で、その外観を城に模してしまおうか、という流れで、新国会議事堂が江戸城っぽくなるのだったら、ただの無駄ではなく実務も兼ね備えているように考えられるから、そんなに反対しない。ま、今の国会議事堂は何ら問題なく使えているようなので、そのような可能性もないけれど。
長くなったけれど、以上のような理由で、江戸城再建に私は反対です。それを検討に載せるのは、せめて東日本大震災の爪痕が癒やされる頃、2020年に開催される東京オリンピックの後ぐらいなんじゃないでしょうか。