日本人音楽家を知れ、って言われてもねえ

iza!に日本人の作曲家・大澤壽人と松平頼則についてのコラムが載っていました。どっちも1907年生まれで今年で生誕100周年、ってことですがどっちも初めて知りました。

大澤は1930年代、ボストン交響楽団やパリのコンセール・パドゥルー管弦楽団で自作自演し、ウルトラ・モダニズムを標榜(ひょうぼう)した。その作品は、日本の戦前の音楽史におけるひとつの究極を示す。一方、松平は遅れて1950年代以後に独自の作風を確立した。雅楽と西欧の前衛を融和させた、峻厳(しゅんげん)で神聖なスタイルだ。松平はカラヤンの指揮した唯一の日本人作曲家でもある。その作品は、日本の戦後の音楽史におけるひとつの究極を示す。

ところが彼らの記念すべき生誕100年の今年、日本の音楽界の対応は冷たい。大澤は1枚のCDが発売を予定され、また秋に関西フィルハーモニー管弦楽団が交響曲を演奏する程度。松平に至ってはほとんど何もない。

昨年はモーツァルト生誕250年で大騒ぎしたのに、自国の音楽家の値打ちとなると計れない。情けないかぎりだ。(評論家・片山杜秀)

うーんそんなこと言われても、どっちも演奏機会少ないですよね。自分が日本人の作曲家の曲を演奏したのは芥川也寸志の「交響管絃楽のための音楽」(演奏した曲目参照)くらいですね。これもヘンテコな曲だった気が・・・。

日本の音楽界が冷たいって言われても、クラシック音楽って元々西洋のものだから仕方ないんじゃないのかな。作曲って書いた人のセンスとか時代背景がでるけど、日本でのクラシック音楽の時代はせいぜい明治からだし、それまでの音楽ってお囃子とか盆踊りとかそんなもんでしょう。

演奏する方は楽器が一緒ならかなり西洋に近づくと思います。で、西洋の楽器だから西洋の作曲者の曲がやりやすいのは当たり前なんじゃないかと。演奏家が演奏したいのも欧州の曲だったり。大学オケだとなんだかんだでロマン派の曲がわかりやすくて演ずる側も聞く側も楽しめるんじゃないかと。

あとモーツァルトで盛り上がったのは、膨大な数の曲を後世まで残しているからでしょう。しかもどれも良い曲ばかり。例えばショスタコーヴィチは去年生誕100年でしたけどそんなに盛り上がってはないし、今年のグリーグ(没後100年)やシベリウス(没後50年)もしかり。この評論家はなんでもアニバーサリーだと盛り上がるべきって思ってるのかな。まあもうちょっと盛り上がっても良いとは思うけど。

まあ、結論としては、そんなに盛り上がれって言われてもね、っと。せめてN響アワーで取り上げてくれないと聞く機会もないし。

Facebook にシェア
LINEで送る
Pocket