中井豊記者による「(体・験・学)私のアマオケ 探して」という連載が、6月6日から10日まで、日経夕刊に連載されていました。
(この記事は中井豊記者による「私のアマオケ 探して」(2016-06-08)の続きです。)
- (体・験・学)私のアマオケ探して(1) 昔吹いたクラリネットで挑戦 入団オーディションは狭き門 :日本経済新聞
- (体・験・学)私のアマオケ探して(2) バイオリン転向、念願の入団 ブラームスの壁、無念の退団 :日本経済新聞
- (体・験・学)私のアマオケ探して(3) 平日午後の楽団の門たたく 自然体で仲間、私も作りたい :日本経済新聞
- (体・験・学)私のアマオケ探して(4) 室内楽結成、善は急げと募集 仲間のひと言、フェス主宰へ :日本経済新聞
- (体・験・学)私のアマオケ探して(5) ドタキャンあれば「ドタやる」 想定外も楽しむ、のべ100人参加 :日本経済新聞
学生オケでやっていたクラリネットを再びアマチュア・オーケストラでやろうとするも枠が埋まっておらず挫折、ヴァイオリンに転向し楽団に所属するも難曲に音を上げて逃げ出し、平日に主に活動する楽団でようやく自分らしい演奏ができることが判明、後にそこからスピンアウトして室内楽を始め、最終的に発表会を行う、というストーリーです。
Twitterでの観測範囲内ですが、あまり評判は良くないようです。
某所で5回目(最終回?)みたけど、全く意味わからず。本当にこれ、プロの物書きさんが書いたもの?? #日経私のアマオケ
— らん (@tarepandaviola) 2016年6月10日
音楽の楽しみ方はいろいろあっていいけど、人間の集まり(組織・団体)における「ルール・マナー・敬意の示し方」は「何でもあり」というわけにはいかないよね、というあたりがとりあえずの感想&教訓です。そして分かりやすい文章は難しい…。 #日経アマオケ #日経私のアマオケ
— ライオンベース(獅子頭低音大提琴) (@Lionbass) 2016年6月10日
「私が室内楽フェスを主催するまで」というタイトルにしてれば印象も変わったのかもしれませんね。 #日経アマオケ #日経私のアマオケ
— ライオンベース(獅子頭低音大提琴) (@Lionbass) 2016年6月10日
細かい指摘だけど、「バイオリンの楽譜は2人で1つ、舞台内側に座る人がめくるというルールを初めて知った。」っていう下りがあるって事は「周りが見えてない奏者」と推察されちゃうよなぁ。
だってオケ部だったんだよね?吹奏楽経験しかない訳でもなし。#日経私のアマオケ #日経アマオケ— yam__0x40__(在野のTrb吹き (@yam__0x40__) 2016年6月10日
結局のところ、日経の中の人は何がしたかったのかさっぱり分からん。連載するにしても起承転結があると思うんだけど、結の部分が全然結になっていないような気がする。 #日経私のアマオケ
— Yusuke TOMIOKA (@vlayusuke) 2016年6月10日
この記事の感想を求めにとあるアマオケに実際にインタビュー敢行する他メディアなんかあったら面白いw #日経私のアマオケ
— Nacky (@fgnacky) 2016年6月10日
「息子にいいところ見せよう」という動機は分かるんですが、ホントにちゃんと演奏できるんだったらオケじゃなくて1人で吹いてみせれば分かるはず。なのにいきなりオケに入ろうとしたという点が、釈然としない人が多い理由ではないでしょうか。 #日経アマオケ #日経私のアマオケ
— アマチュアオーケストラに乾杯! (@Amaoke_kanpai) 2016年6月9日
記事からあれこれ勝手に決めつけるなというご意見も見かけ、それはそうですねと思う一方で、この連載がたとえば〔50歳近くになって音楽をまたやり直してみて、いろいろあったけど楽しくやっています〕ということを伝えたかったのだとしたら、この構成や内容はちょっとねぇ…。 #日経私のアマオケ
— 宏 (@hiroshi_yok) 2016年6月11日
日経夕刊「私のアマオケ探して」への反応まとめ – Togetterまとめ https://t.co/uZqYo2gOGk #日経アマオケ #日経私のアマオケ を使わないツイートを中心にまとめるとこんな感じかしら。
— 過去石 (@kakoi4) 2016年6月11日
私のアマオケを探し始めた日経の中の人を、まろやかに観察し始めたアマオケ界隈の人たち。 – Togetterまとめ https://t.co/ORJdXVs4mg こちらのまとめの後追いなので、まずはこちらからどうぞ。 #日経アマオケ #日経私のアマオケ
— 過去石 (@kakoi4) 2016年6月11日
で、私が読んでみた感想なのですけれども、この連載に「聴いた人が楽しんでくれるか」という聴衆側からの観点や、「曲をどう成り立たせるか」といった指揮者および運営側からの視点、いわば全体を俯瞰したものがないのですよね。全て「私がどう楽しむか」「参加した人が楽しんでいるか」という、個々の主観止まり。